2月は受験シーズン真っ只中。中でも中学受験は大部分が2月初旬に集中し、ニュースでも季節の風物詩のように取り上げられるようになりました。
しかし、これほどまでに中学受験がクローズアップされるようになったのは、ここ数年のことです。
今年、東京千葉埼玉神奈川で小学校を卒業予定の児童数は、昨年より1万人以上少ない約29万5千人(文部科学省 平成19年度 学校基本調査報告書より)。一方、首都圏で私立中学、国公立中高一貫校を受験する児童は、過去最高と言われた昨年の5万2千人を上回ることは確実と言われています。
この数字は中学受験が1部の特別な家庭のものではないということを意味しています。特に、中学受験者の多い私鉄やJR沿線の小学校では、1クラスの半分以上が受験する学校も珍しくないといいます。
とはいえ、3年間で普通乗用車1台分は軽くかかる受験塾の費用、塾への送り迎えや土日に行われる模試への参加など、中学受験のための負担は一般家庭にとって決して軽いものではありません。それでも首都圏で多くの家庭が中学受験という選択肢を選ぶ理由は、何なのでしょうか。
「公教育への不信」
「私立学校の校風や教育システムの魅力」
「中高一貫教育の進学指導に対する信頼」
「格差社会への不安」
「みんなが行くから」
様々な理由を挙げることができますが、中学受験人口が増えた最大の要因はやはり「ゆとり教育」だったのではないかと思います。
それは決して「ゆとり教育」が悪いからというわけではありません。実際、総合学習の時間を通じて、地域や米作りについてなどを様々な視点で学ぶなど、親の世代では考えられなかった有意義な勉強です。詰め込み教育のもたらすゆがみは、今の親の世代こそ知っているのではないでしょうか。
しかし、「ゆとり教育」という言葉は、教育関係者だけでなく、世間一般の多くの人に教育の中身にまで注目させる結果となりました。そしてそこから多くの人は「自分の子どもの教育は、自分で選べる」ということを発見したのだと思います。
日本では、明治時代からほとんどの人にとって「義務教育」とはお上から与えられるものであって、「選択の余地はない」ものでした。
それが「ゆとり教育」の登場で、義務教育の中身に「?」マークがつけられたことによって、教育に関する様々な議論が交わされ、そこで初めて「義務教育の中身も選択できる」と気づいた人も多かったのではないかと思うのです。
現在、30代40代の親たちは、自分の人生の中で様々なものを選び取ってきた世代です。物であれ、サービスであれ、自分の考え方や生き方にあったものを選ぶのは当然のことだと考えている人が大多数でしょう。まして子どもの教育という一大事であれば尚更です。
こういったことが、中学受験をする家庭の増加に拍車をかけているのではないでしょうか。
ですから、中学受験をする家庭だけでなく、公立の小中学校の親も、習い事をさせる、スポーツをさせる、あるいは旅行や野外活動など、長い目で見た子どもの教育プランの中で、公立という選択肢を選んでいるというスタンスの人が多く見られます。様々な機会を与えて、子どもにより良い教育や環境をと考える親心に違いはありません。
中学受験は、親以上に子ども達にとって重く大変な負担です。そこから生まれている問題は、かつての詰め込み教育の問題以上に深刻なものになるかもしれません。それでも、親たちの「教育を選ぶ」という意志はこれからも変わらないだろうと思います。自分たちが納得できる「教育を選ぶ」上で、中学受験は本当に必要なのか、様々なニーズに公教育はどこまで対応できるのか、じっくり考えてみる必要があるのではないでしょうか。