我が家の2歳の娘はおしゃべりが達者で、いろいろなものに興味を持ち始めている。
先日、いつものようにお散歩しながら娘は車を見つけては色を言っていた。その時、シルバーの車を見て「ピンク、ピンク」と言い始めた。まだシルバーを教えていなかったので、「これはピンクじゃなくてシルバーって言うのよ」と教えたら「シロバー?(シルバーのつもり)」とすぐ覚えた。通り過ぎるシルバーの車を見つけると「シロバー、行っちゃったね」と言っていた。
その帰り道、先ほどのシルバーの車の前で「ピンク」と言い始めた。「ピンクじゃないよねー、シルバーだよ?」と言ってもピンクと言い張る。おかしいなと思い娘の横にかがんでみたら、シルバーの車に娘が着ていたピンクの服が映っていた。車にピンクが映っていたのね、と聞くと「うん」と答えてくれた。


もしシルバーの車をピンクと言った時、「それはシルバーでしょ、さっき教えたじゃない」と言ってその場を離れていたら、娘が見た、車に映るピンク色に気が付くことはできなかった。そう思うと、気が付くことができたその日がとても大事な一日だったように感じる。娘は私に行きと帰り、2度のチャンスをくれたのだ。今回は幸い、2度目のチャンスをモノにすることができたのだ。
誰しもそうだと思うが、魔の2歳児といわれる子供を相手にしているとついイライラもするし、子供が言っていることに適当な返事をしてしまうことも多々ある。それにより、子供が拙い言葉で一生懸命伝えようとしていることのどれくらいを見逃してしまっているのだろうか。
子供は先入観や固定観念がない分、目で見たものをそのまま表現する。そして持って生まれた個性で感じたことを表現する。子供が表現した内容が、大人の視点ではおかしなことでも、それを受け入れることが大事であろう。考えれば当たり前のことであるが、実際にそれを感じ受け入れることは、日常に追われていると難しいことだと思う。
子供が産まれたら、できるだけ子供と同じ目線で話をしようと思っていた。そのために、しゃがんで話をする自分の姿を思い描いてきた。そして、それを実行し、自己満足していた。でもこんな些細な日常の発見から、同じ目線になることも大事だけど、同じ「視点」に立つことが大切だと教えられる。
同じ目線になるためには、ただしゃがめばいい。しかし同じ視点に立つためには、いかに自分がニュートラルな心でいることができるかにかかるのではないだろうか。固定観念をはずし、心に余裕を持つこと。なかなか難しい。