ある習い事の席で、もうすぐ初めての子を出産する年下の友人に、年配の先生が「○○さんもママの顔になってきたわね」と声をかけると、彼女は「子どもを産むと、その瞬間からママって呼ばれるんですね」と、面映そうにしながら、ちょっと戸惑い顔。
「そう? 当たり前じゃない。母と初めて呼ばれた瞬間って、すばらしいわよ、ねえ」と、こちらに話がふられました。
正直な私が、「○○さんの気持ち、わかる! “私”がどっかに行ってしまって、一(イチ)お母さんとして扱われるのよね。別に“私”に変わりはないんだけどなぁ…って、何だか最初はしっくりこなかったわ」と答えると彼女はうなずき、先生は、「イマドキの若い人らしい感覚ね」と、にこやかに聞いていました。
日本では子どもを中心にした家族の立場が、そのまま呼び方になることが多いですね。母親は、「お母さん」「ママ」。父親は「お父さん」「パパ」。家庭の外でも、「うちのパパがね」というと、それは彼女の父親ではなく旦那様のこと。
個人的には、「うちのパパがね〜」と話し始められると、(絵にかいたような幸せな家庭なんです、わが家は)という気持ちが意識的にあるいは無意識的にアピールされているような気がしないでもないのですが(考えすぎ)、どちらかというと「(苗字)がね」や、「家のものが」という距離をおいた話し方に、大人らしい気遣いを感じます。
ところが、これが大人同士ではなく、親子の間での呼びかたになるとどうか。
「お母さん」「ママ」と、自分の子どもから呼ばれるのは、とくに違和感はありません。なぜなら、関係そのものだから。逆に、「サザエー!」などと子どもから直接、名を呼ばれると、「なに生意気言ってるの。カツオってば!」と、一瞬、間をおいてしまいそう。
というのが、スタンダードではないか…と、思っていたら、最近はそうでもないみたいですね。
ママと呼ばないで──。我が子に下の名前で呼ばせる親がじわりと広がっている。上下の関係よりも、個人として対等につきあいたいという思いからだ。(日本経済新聞 4月14日夕刊)
この記事には、三十代後半の母親が登場し、それぞれ「ちーちゃん」や「ヒロミさん」と、子どもに自分の名やニックネームで呼ばせています。きっかけは、子どもが生まれるとすぐに周囲から「お母さん」と呼ばれることに違和感を持ったから…と説明されていますが、その思いが、子どもに自分を「こう呼んでね」という実行に結びつくのが、新しいというか・しなやかで自由な感じがする一方で、どこかしら不安定にも思えます。
名前で呼ばせる親側としては、
「ママ」「パパ」と呼ばれるより、親子のコミュニケーションはスムーズではないかと受け止める。名前で呼び合うと、不思議と同じ目線で会話が交わせるからだ(同記事より)。
それも一理あると思います。子どもをひとりの人間として尊重し、意見があるときは対等に聞いてやろうという気持ちが、「ママではなく名前で呼ばせる」のでしょう。しかし、子育ての局面では、対等に向かい合うことが難しい場合もあります。親子関係は十人十色ですし、同じ親子でも月日とともに関係に変化があり、どの呼びかたが正しいとは決められませんが、家の外での各世代の常識、家庭の事情、親子の立場…、これらをしなやかにクリアできる自信が私にはないせいでしょうか、常に名前で呼び合う親子関係には、他人事ながら不安定感を覚えてしまうのです。
みなさんは、いかがでしょう?