先日、六本木の東京ミッドタウンに行ってきた。今年3月にオープンしたばかり。最先端のおしゃれな複合商業施設、大人の街六本木に位置するということもあり、小さな子供連れで行くのはためらわれたが、一度は見てみたかったので思い切って出かけた。平日の昼間だったこともあり、思ったほどの人混みはなく、子供連れの女性客が多いのにもほっとした。驚いたことに貸し出し用のベビーカーがあり、子供連れも歓迎といった雰囲気だ。早速借りてあちこち歩いてみた。
歩行空間はゆったり、見通し良好、無駄な段差はなく、床材も石質タイルで滑らず固すぎず、もちろん、床近辺に危険な凹凸はない。上下の移動はエレベーターが完備され、一人でベビーカーを押していても何も困らないようにできている。
久しぶりに気分良くウィンドゥショッピングを楽しんだ後、ランチを食べようと入ったレストラン。床も壁もごつごつした石を感じさせ、蛇行した店内は、奥がどうなっているのか見渡せない。床は段差の連続で、入ってすぐに一段下がり、二、三歩進むと今度は二段上る、しばらく行くと再び段差。洞窟を思わせる入り口付近から、庭を一望できるオープンな店奥への空間の展開は、一歩踏み出すたびにわくわくするような楽しさがある。
その一方、先ほどまでの徹底したバリアフリーの床に慣れた身に店内でのスムーズな移動は少々厳しいのでは・・・と思うところだが、元気で明るい店員さんが当たり前のようにベビーカーを持ち上げて店奥まで連れて行ってくれた。いかにも自然なこの行為が実に気持ちよく、まさにこれがバリアフリーだと実感した。
個人的には段差や傾斜で変化を付けた空間や、ゴツゴツ、ザラザラ、ガタガタという質感が感じられる床や壁が好きだ。建築物のバリアフリー化でいろいろな場所がツルツル、スベスベと平坦に均されてしまうのは、空間が均質化して面白味に欠けるような気がして残念だ。多少不便でもやっぱり表情豊かな床や壁であってほしいと思っていた。
しかし、最近、自分が子供連れで出かけるようになると、ほんの少しの段差に立ち止まったり、階段で手間取ったり。スムーズに動けないもどかしさと、周囲の人へ迷惑をかけているという思いとで、肩身の狭い思いをすることもしばしばだ。そんな時、平坦な床とエレベーターは非常にありがたく感じられる。
以前は“冷たくつまらない素材”と、好きではなかったリノリウムの床もベビーカーにとっては最良の材料の一つであることがわかった。スベスベで凹凸のない床が面白味に欠けるなどという視点は忘れかけていた。ところがミッドタウンのレストランでの経験は、機能だけでない空間の見方を思い出させてくれた。
以前滞在したパリは石畳の道と石造りの建物、昔ながらのカフェや商店が並ぶ街の風景が、昔も今も人々を惹きつけている。ただ、バリアフリーという観点からいうと、これほど不便な街もないのではないだろうか。石畳のガタガタ道、あちこちに見られる段差、エレベーターなどないメトロの駅。自分がベビーカーを押して歩くことを考えると、気が遠くなりそうな街である。
しかし実際は、多くの女性がベビーカーを押して涼しい顔で歩いている。それもそのはず、押すのが難しい場所では、声をかけて手伝ってくれる人がいくらでもいるからだ。メトロの駅の階段でも、力のある男性が持ち上げて上り下りする光景をよく見かけた。手助けする方も、助けられる方も、お互い、当たり前の日常の一場面と受け止めているようだった。スロープやエレベーターを整備しなくても、駅員が飛んできて手を貸さなくても、近くにいる人が協力するだけでことがスムーズに進む社会が成立していた。このように、パリという街は、街並や建物を新しく整備し直さず、昔からの魅力を保ったまま、バリアフリー社会を実現しているのである。
日本の社会はどうだろうか。人間関係が希薄になったといわれる昨今だが、困った場面で声をかけてくれる人に、私は何度も出会った。弱者へ温かい視線を向けてくれる人も多くいる。ただ、あまりに忙しい毎日を送っている人が多いため、他人に関わっていられないとか、手助けを申し出ても断られたら気まずいとか、様々な理由でお互いに声をかけづらい状況が生まれている。そこで一つの解決策として進められているのが、建築物のバリアフリー化だ。もちろん、バリアフリー化の工夫は必要だが、それだけに頼らずいわゆるパリ式のバリアフリーを目指していけば、随分気持ちの良い社会になるのではないだろうか。
ミッドタウンという最先端の場で、施設としての工夫とそこで働く人の配慮が理想のバリアフリーに近づいている様な印象を受け、このような雰囲気が社会全体に浸透することを願わずにはいられなかった。
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